美を生み出す場としての身体

さる日に買った「エステティーク」という雑誌に、最上和子さんという方が「人間の身体は美しい」というエッセイを寄稿していた。

 

最上和子さんは舞踏家で、あの押井守監督のお姉さんらしい。「場としての身体」をモットーに、日々身体美の可能性を探っているということである。

 

「人間の身体は美しい」は、最初に人間の身体が筆者にとって如何に醜く見えるかを述べる。タイトルとは正反対の冒頭であるから、ここらどのようにして「人間の身体は美しい」という発見に至るのか。

筆者は動物を引き合いに出す。動物は美しい。なぜなら彼らには自我がないからである。自我がないといことは即ち、美=生の直接性・全体性=自然を持っているということである。人間には自我があるので、自然を自我という媒介を通して認識せざるを得ず、従って美からは遠ざかってしまっている。ゆえに、人間の身体は醜い。

とすれば人間はいかにして美を獲得するか。舞踏家としての筆者によれば、それは身体の輪郭を溶かすことにある。そうすると自我も薄れ、自分が自然と直接つながるようになるらしい。

そしてその、輪郭が溶け自我が薄れた身体は、「美」と「永遠」のための場となる。

「美」や「永遠」は一瞬そこを横切るだけだが、我々はそれを捉えねばならない。

 

特に感想などはないが、もう少し明晰な言葉遣いをしてほしかった。例えば美=全体性などと言っていたが、それを自然とほぼ同義に使っている箇所も散見された。